今週のお題「サボりたいこと」
「サボる」とは破壊活動や妨害行為や、仕事を停滞させたり、生産設備を破壊したりする労働争議の手法を指すフランス語sabotageに由来し、日本語では仕事や授業を怠けることを意味する。
僕はどちらの意味のサボタージュも経験済みだが、今でもそれをして良かったと思うのは数件ほどある。
自分は中学高校とそれぞれ違う部活に所属していたが、たまにサボりたくなる。それで何度か実際サボってカフェなんかに行ったり家に帰ったりしていたが、そういうときに限って部員が何かをやらかしていたのを顧問に見つかって叱責を受けたりしていたのだ。
サボった翌日部活に出てみたらその話題で持ちきりで「ああ、叱られたんだな」と他人事のように思うのが常であった。
なぜか問題は自分がいないときに起こるという幸運体質。なので自分は部活で叱られたことが他の部員に比べて圧倒的に少なく、6年間で1件2件くらいしか思い浮かばない。
で、自分はけっこう「サボる」行為に救われている訳だが、もう一つの意味の方、つまり仕事を停滞させたりして抗議の意志を示すというものの方にはあまりいい思い出がない。
学校というのはうまく出来ているもので、たいてい意図的か不可抗力かに関わらず自分が非戦力になっても、必ず自分の代わりになる人間はいる。つまり大したダメージは与えられないのだ。それどころか「献身的な」人たちが余計な仕事を受け持ってカバーしようとし、思った場所に犠牲を産出する事ができない。そもそも戦術的なサボタージュを行うのだから多少思わぬ所に思わぬダメージを与えるのは想定済みだが、ここまで肩すかしを食らうとやるせなくなる。もっと要職につくべきだったか(いちおう要職には就いている)。
「サボり」に関してはいろんな思い出があるし、自分の幸運体質以外にも救われた経験がある。
明文法など「法的」にカバー出来ないことを補填するのが「暗黙の了解」であり、非合法的なやり方だ。嫌なたとえ方をすると、法で裁けない体制に不都合な人間は暗殺されるだろう。民主国家でもそうだ。
何かつらいことがあったら是非サボるべきだ。みんなそうやって死ぬことなく頑張ってる。必ずしもあなたにフィットするようにスケジュールが組まれているとは限らないのだ。