何やってんだか

日記です。最近は不定期投稿。

8/6 コラム: Barbenheimer

事の顛末

Barbenheimer

今年7月21日に米国で2つの映画が同時公開された。『バービー(Barbie)』と『オッペンハイマー(Oppenheimer)』である。

同時公開になった経緯はさておき、自身の主演作をヒットさせてコロナ禍で打撃を受けた映画館を潤したトム・クルーズは、(自身は2本の映画に関わっていないが)この映画たちを2本立てで観ようというムーブメントを支援した。もちろん、苦境に立たされている映画館の支援のためだと考えられる。

影響力の強いトムが発信したことでこのムーブメントは爆発的に広がり、両者を組み合わせた語『Barbenheimer』は明るいコメディ映画と原爆の開発というシリアスな経歴を持つ男の硬派な伝記もの、この相反する2つの映画を観るカウンタープログラミング(※)を象徴する語へと変化した。

(※)こういった正反対の作風の映画を同時に公開し、幅広い属性を持つ客を映画館に呼び込むマーケティング手法をカウンタープログラミングという。

ネットミーム化と日米ユーザーの対立

しかし、このBarbenheimerはインターネットミームとなり、予期せぬ暴走を始める。キャッチーなバービーに関連する画像と、原子爆弾やきのこ雲など原爆に関する画像がコラージュされ始めた。この時点で日本人SNSユーザーが嫌悪感を示し始めたが、彼らが最も怒りを感じたのは米国のバービー公式アカウントがこれらのインターネットミームに肯定的な反応を示したことだと思う。

決定的だったのは、あるBarbenheimerのネタ画像に対し米国公式が"It's going to be a summer to remember ??(忘れられない夏になるね)"と引用した事だろう。明らかにこれは夏に起きた原爆投下とのダブルミーニングであり、原爆投下という悲劇を茶化す姿勢を明らかにしたと多くの日本人ユーザーは解釈した。元来日本人は米国人が日本に対する原爆投下に対して肯定的であり、そこが我々との相違点だという意識がありそれが表層化したと今回の一連の騒動で解釈したのだろう。

#NoBarbenheimer

怒った日本人ユーザーたちは#NoBarbenheimerという、Barbenheimerに反対するハッシュタグを拡散したり、米国で起きた無差別テロ事件「9.11」とバービーをコラージュしてミラーリングを行い、行動を改めるよう訴えたり(一部のユーザーは米国ユーザーへ報復する意図を持っていただろうが)、また映画バービーに対して不買運動を展開したりした。

さすがに事態を重くみたワーナーブラザース・ジャパンが本社へ対応を求める声明を発表し、米国公式が謝罪することで今回のBarbenheimer騒動は収拾が図られた。

暴走するミームと攻撃の応酬

今回の騒動でみえた対立の構図は日米の歴史認識の相違だけではない。

バービーは映画の中で女性のエンパワメントを謳うフェミニズムやLGBTQ+の要素を扱っていることもあり、ポリコレ(=Political correctness、政治的正しさ)寄りの映画であったといえる。とにかく、そうみなしていた人のうち反ポリコレ的な考えを持つ人達はこの映画を「ポリコレに毒されている(それによって台無しだ!)」と考えて嫌悪感を示していた。そして一連のBarbenheimer騒動が起きて原爆認識において配慮を求める#NoBarbenheimerムーブメントが起きた。反ポリコレ勢はこれに乗っかり、批判して持論を展開した。原爆犠牲者が受けた惨劇に目を向け、核なき世界を作るという理念を共有して作られた#NoBarbenheimerは反ポリコレによりたたき棒に利用されたのだ。

Barbenheimerは日本人を傷つけ、それを止めようとする#NoBarbenheimerは女性やLGBTQ+、障碍者などを傷つけ、非難の連鎖を起こした。また一部の人たちが#NoBarbenheimerを用いた反ポリコレムーブメントを中傷するために、原爆に対する認識を改めようとするムーブメントであったことを無視して#NoBarbenheimerごと攻撃したのはまた想像に難くない。

このようにミームが意図せぬ暴走を起こし、結果的に他者への中傷・攻撃に用いられてしまう事例は多くある。

カエルのぺぺ

最も有名な例が「カエルのペペ」だろう。

ぺぺは元々人種差別的な意図を持ったキャラクターではなかったが、オルタナ右翼がこれを乗っ取り、人種差別のシンボルに仕立て上げてしまった。作者はペペの平和的なイメージを取り戻そうとキャンペーンを展開したが、一度失敗している。

Barbenheimerはポリコレが抱える根深い対立や、暴走するミームの恐ろしさを表層化した。

空虚なインクルーシブ社会とその外側

また9.11バービーのミラーリングについて、アメリカが抱える問題も浮き彫りになった。

上で述べた通り、ある日本人ユーザーがアメリカの悲劇である9.11とバービーをコラージュすることでミラーリングを行い、原爆を揶揄するコラージュをやめるように求めたが、米国ネットでは失笑を買ったようで「ジョークに何マジになってるんだ」という風潮が起こる結果となった。米国ではそもそも9.11もユーモアの語彙と化しているようだ。(私個人としては少し無理のあるミラーリングをしてしまったため、センスがあるかないかで言うと後者だと思う。しかし何であれ共感がもらえなかったことには多くの日本人と一緒に失望した)

性別、性的指向、障がいの有無、人種、民族の違いを認め合い、尊厳を大切にすることですべてを包括するインクルーシブ社会という考え方がある。これは映画バービーのテーマの一つであり、LGBTQ+の運動などとともに提唱されてきた理念だ。

しかし今回のミラーリングへの失笑は日本人のもつ事情には配慮しない、あくまで自国のユーモアセンスに達しているかどうかが重要だ、というアメリカ人の考え方が如実に表れているだろう。少し言い過ぎだろうか?

アカウント名やプロフィールにプライドフラッグをつけておきながらBarbenheimerコラに抗議する日本人に対して「わかってないな」というような反応を示す米国人を見た時には何ともやるせない感情になった。

アジア人の立場

日本人を含め、アジア人は今米国内で深刻な差別に遭っているとされている。中国が起源とされる新型コロナウイルスが世界中で流行してからその傾向は顕著になった。アジア系へのヘイトクライム件数は上昇しているが、黒人が同様の被害に遭ったときには「ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動」が大々的に立ち上がったのと比べ、アジア系のために声を上げる人が少ないように感じる。もちろん、黒人の差別の痛々しい歴史は耐え難い物でありそれを否定するわけではない。

アジア人蔑視を示すつり目ポーズ、中国語をまねた「チン・チョン」「チンク」という蔑称…。枚挙に暇がないが、まだアジア人差別は完全にはタブーになっていない。人種のサラダボウルと呼ばれる米国でもアジア人は永遠の外国人として差別に遭い続けている。

欧米が掲げるインクルーシブ社会への失望

今回の一件や歴史的背景から、全ての人種・民族を尊重し包括するインクルーシブ社会を掲げながら、日本人のことを尊重する気はさらさらなく、やっぱりアジア人なんてどうでもいいんだという失望を私は感じた。

私は弱者やマイノリティを思いやる社会が良い社会だという理念に共感しているし、そういう社会になることを切に願っている。いつかアジア人もインクルードされるのだろうか。

しかし

アメリカでは若年層を中心に徐々に原爆に対する考え方が変化してきている。原爆投下を正当であったと考える若年層の割合は徐々に低下し始め、許されないことであったという認識を持つ者が増えてきたという。また、原爆について知りたいと考える若者も増加しており、明らかにアメリカの対原爆観は過渡期を迎えている。Barbenheimerミームは残念な出来事だったが、そんな時期に封を切られた映画「オッペンハイマー」はアメリカの重要な転換点を見届ける事になるだろう。

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