7月3日(月)
Twitterの改悪疑惑で、不信感を強めた九大生たちはDiscordにサーバーを建て移住を始めた。僕も少し覗き見るつもりで加入した。カオスだった。TwitterやMisskeyで見るような光景がここにあった。Twitter騒ぎは次第に収まりそうで帰っていくものも多そうだが、この場所は少し維持してほしいなと思った。我々は汚れた泥の中でしか生きられぬ。
7月4日(火)
先日購入したたぬきのぬいぐるみをキャンパスに携行した。寝そべり型で円筒形なのもあって意外とおさまりがいい。彼女はキツネのぬいぐるみを憂鬱な日に携行すると言っていたので僕もそうしようと思う。僕にも憂鬱な日はある。
7月5日(水)
午前は『メイドインアビス 深き魂の黎明』というアニメ1期と2期の中間に位置する映画を視聴した。色々と度し難く衝撃的であったが、Twitterでよく見かけるボンドルドの正体が分かったのですっきりした。これから続けて2期を視聴しようと思う。
以前ひどい点数を取ってしまったロシア語のテストだが、今回は全て満点を取れた。挽回できたと信じたい。
Meta社がTwitterに対抗するように作ったSNS、Threadsがリリースされた。早速ダウンロードしたが、まだアカウント作成は出来ないようだったので様子を見ることにした。
7月6日(木)
授業終わって速攻抜け出さないとバイトに間に合わないスケジュールだったので内心かなりひやひやしながら1日の日程をこなした。スーツで登校するのはあまり好きではない。今のバイト先は良いところなのでやめるつもりは当分ないが、スーツ着用の就業規則だけは少し頭痛の種だ…。
7月7日(金)
七夕だ。そういえば七夕の日は雨の確率が高いらしく、実際彦星と織姫は年1どころか数年に1回ペースでしか会えないらしい…と思っていたら様々な説があり、織姫が彦星に会えたことで嬉しくて泣いてしまい、それが雨になっているという説、彦星が織姫に会いに行く船をこぐ際に櫂からこぼれたのが雨になっているという説…。
七夕自体、紙がかなり貴重だった古代中国からの言い伝えであるので口伝されるうちに内容が改変されたのだと思うが、伝えていった人の中で織姫と彦星の幸せを願った人がいるのだとすると良いなと思う(日本には残念ながら悲しみの雨の方の説が伝わったようだが)。
7月8日(土)
金曜の夜10時ごろ、あまりに眠かったから20分ほど仮眠を取ろうと思いAlexaにタイマーを命じてチェアを目いっぱいリクライニングして睡眠をとったところ、起きたら朝の4時であった。Alexaにちゃんと伝わらなかったのか、それともタイマーに適当な返事をして再びこと切れたのかは分からぬ。6時間ほど寝た感想としては、足が少し痛かったような不思議な感覚なようなだったこと以外は意外に快適だった(おそらく健康には良くない)。恐るべしゲーミングチェア。
起きた後も雨がひどかったので結局外には出ずに1日引きこもって過ごした。
7月9日(日)
今日も今日とて雨がひどかったので1日引きこもって過ごした。
NEEDY GIRL OVERDOSEを購入
Steamセールで半額になっていた『NEEDY GIRL OVERDOSE』を購入して遊んでみた。とりあえず登録者100万人を目指してみようと思ったが意外にキツく、そういう方向で攻めてみるも今度は好感度の管理が難しく(好感度の上げ過ぎ下げ過ぎで100万人達成ルートから逸れてもそこで3つのエンディングを回収できるが)、おくすりをたくさん使う路線で行くと配信する気を失くされ…。意外にハードだった。
これからも暇なときに遊んでいこうと思う。
メイドインアビス2期を一気見
水曜日に劇場版を視聴して2期への扉が開けたので観てみたが、面白過ぎて一気見してしまった。
物語は第6層に降り引き続き冒険を続けるリコたち(リコさん隊)と、それよりもはるか昔の、故郷を逐われた者たちが集まり黄金郷を目指した決死隊『ガンジャ』の征途が並行してストーリーが進んでいく。
ここに感想を書こうと思ったが、あまりに長い記事になりそうだったので別の記事としていつかまとめようと思う。
音楽の話
とりあえずシリーズ化してみた。飽きるまで続ける。
春を告げる(yama)
エモーショナルで中性的な歌声が特徴的な、年齢性別…etcが全く明かされていない謎多きアーティストyamaさんによって歌われた一曲。出会いはTikTokだった。
歌詞はタイトルの割に暗い。インターネットにしか本当の自分の居場所がない青年が、それを脱してインターネットではないどこかへと歩もうとしていて、生活を切り替える前にインターネットへの最後の没頭を味わっている…というのが歌詞の意味なのだろうか。
インターネットの中にある世界は現実と同じくらい、いやもしかしたら現実よりも重要なものだ。インターネットに没頭しているというよりは、もはやインターネットの中でもう一つの人格を形成して生きているような自分たちにとってインターネットからの脱却は何を意味するのだろうか。