何やってんだか

日記です。最近は不定期投稿。

8/20 冷やした頭で、目で

今週のお題「冷やし◯◯」

自分が最も冷やしたのは熱意だと思う。

大凡中学校ほどで、たいていの人がある程度政治に関して知識を得て、自分の意見を持ち始める。自分もそうだった。しかし微妙に知識が足らないというか、二元論に固執するというか、アンガーマネジメント能力に乏しいというかで極論に振れやすい。これは別に人として普通のことだ。いわば「中二病」に近い立ち位置をした、誰しもが通る道ではないかと思う。

しかしある程度の年齢に達すると、自分や身の回りを客観視し始める。それで政治にかぶれていた中学生たちも「いままで『敵』だと思っていた人の意見にも一理あるな」とか「自分が信奉していたものは必ずしも正しくない」とか思い始める。そして政治かぶれを脱却していく。そして現実的な意見を持ち始める。またそれでも夢を追う人もいるだろうが、それはかつて抱いていた不確かなものではないだろう。

また一方、それから脱却できない人たち、かぶれる時期が遅すぎる人もいる。僕はそれは経験していないため憶測になるが、「自分が何者でもない」という事実が受け入れられず、「何者か」でいようとするために政治について強い主張を繰り返したり、いわゆる「ツイデモ(Twitter上で政治的主張を含むハッシュタグを用いて意見表明し、トレンドに載せようとする行動。)」を主導したり、インプレッションを稼ぐことで民衆を扇動する英雄にでもなった気でいるのではないか。政治についてただ意見表明するのは、地域や国を動かすような高い地位を味わう最も簡単な手段だ(なれるわけではないが)。

また単純にインターネットを比較的高齢で使いこなし始めて、そのころにはもう思想が凝り固まってしまっている人には刺激が強すぎたパターンもあるだろう。

主張を同じくする「戦友」とのつながりであったり、一種のなれ合いであったり、自分の意見が支持されているという感覚であったり。つまり自己承認欲求が彼らの原動力になっている。前述したような「ある程度の年齢に達した人たち」は、自分の主張を推し進めることで地域・国、ひいては世界を良くしたい(かつては僕もこんな熱意を持っていた)というピュアな心でいるため、意見を同じくしていると思っていた人たちとは垣間見える自己承認欲求のためズレを感じ始める。これが脱却のきっかけになる人もいる。

あと身も蓋もない言い方をすれば、情弱が多い。自分の信じる信条にそぐわない情報は「メディアは嘘つき」の合言葉の元排除してしまうからだ。また「戦友」たちのつながりによってフィルターバブルが形成されているために、そういった情報がシャットアウトされてしまうからだ。様々な立場の人に囲まれて、絶えず勉強をしている中学生、高校生にとってこの「情報格差」はズレでしかなく、これもまた脱却のきっかけになる。(Z世代ナメんなよ)

どうしても目に入るが、今様々な政治家スキャンダルやら問題やらが降ってきていてTwitter政治界隈はお熱い。正直言って、本当は何者にもなれない人たちによる、真に政治的な激論が飛び交うことがないこの対立構造はあまりにしょうもない。カブトムシを戦わせた方がまだ面白い。かつて熱意を持っていた、自分が思う「政治」というのがこんなもんかと思うと受け入れがたいだろう。しかし、そんなもんだ。

それで、自分の熱意はどこかに行ってしまった。しかし、かつて持っていなかった、決して1つではない視座を今の自分は持っていると確信している。

熱意には正しい向け方がある。ただシニカルになっては面白くないかもしれないが、一度冷めた目で見えるものをちゃんと飲み込んでみる。恥ずかしいこともいっぱいあるだろう。認めたくないこともいっぱい出てくるだろう。でも大切なことだと思う。

お題との関連性はちょっと薄くなってしまったかもしれないけど、ちょっとでもこの1600字を超える長ったらしい記事を最後まで読んでくれた誰かに、何か思うところがあったらいいかなって思います。かつての自分への反省もこめて。

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